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藤本義一さんがお亡くなりになった。

7年前、紀伊勝浦「ホテル中之島」の、海に面した露天風呂で、石に刻まれた「紀州潮聞之湯・義一」という、味のある書を眼にし、帰宅後すぐに藤本さんの連絡先を探したが、マスコミ電話帳にもタレント名鑑にも掲載されていなかったため、出版社の友人に電話して教えてもらった。

アートバンク運営のサイト「筆文字なび」の新しい企画「あの人の書」のコーナーへ、藤本さんにも是非ご参加頂きたいと思ったからだ。
西宮にある藤本邸を訪問したのは2005年8月17日のこと。
雨に濡れ、少し遅れて着いた僕は、そのまま応接室に通された。応接室は昭和の雰囲気が残る、やや暗めのシックな部屋で、タバコの匂いがした。

しばらくして普段着(コシノ・ジュンコの黒い半袖シャツと黒いパンツ)で現れた藤本さんは、とても気さくな方で、テーブルの手許にショートピースと100円ライターを置き、いつもの大阪弁で話しかけてこられた。

「場所わからんかったか?」
「いえ少し前に着いたんですけど駐車場を探してまして。すみません」
「前に停めといたらええねん。ここ大丈夫やで」
(そう言われてもねえ・・・)

自然体の藤本さんと接し、緊張はすぐに解れた。
自己紹介にと持参したアートバンクの出版物、『日本のイラストレーター1000人と『日本デザイン書道名鑑』を差し出す。
二つの書籍には、約1,300頁に計1,282人が載っており、それを藤本さんは律儀に1頁づつめくりながらお尋ねになる。

「よう集めたなあ、どないして集めたんや?」
それについていろいろ説明。社員13人が1年余りかけて編集したことや、僕は体重が10キロ減ったことなど話す。 出版界で生きてこられた人物への自己紹介には、この本が一番のツールだと思った。
この『デザイン書道名鑑』が契機となって、その後「デザイン書道」という新語が出来、以後の出版をWebに代え「筆文字なび」が生まれたこと、そのプレミアムバージョンとして進めている「あの人の書」の企画・・・

提案申し上げた「あの人の書」へのご参加については、意外にすんなりOKを下さった。
紹介してくれたPHPの中村由紀人君の信用もだいぶあったと思う。
それから同コーナーで紹介する作品の写真や「蔓筆」などの材料を頂き、「義一つァん」のファンである文筆家の友人にコピーを依頼することにした。

ほっとしたところで、藤本さんがさっきから旨そうに燻らせているそのショートピースが欲しくなり、
「先生、それちょっと・・一本頂けません?」 と、お願いし、小さい濃紺の箱の銀紙を開いて一本取り出すと、畏れ多くも藤本さんがライターを擦って火をつけてくれた。
ただ、僕はいつもフィルターを付けないと喫わないので、「ちょっとすみません」と、急いでポケットからミニパイプ「スーパー25」を取り出してねじ込むと、間を置いて、
「タバコは体に悪いと思て喫うたらあかん」
と指摘された。
そうか~、この言葉は深いなあ。いろんなことに言えるなあ、と、思いながら僕もしみじみと燻らせる。

僕は藤本義一さんにお会いするにあたり、氏が直木賞を受賞した作品の単行本『鬼の詩』(昭和49年講談社刊)の初版本を入手し、近刊2冊を併せて精読し、その日は『鬼の詩』を持参していた。
「先生、この本にサイン頂けないでしょうか」
と、取り出したそれを見て藤本さんはちょっと驚き、微笑んで、
「お~、よう有ったもんやなあ。神田の古本屋で3万円の値、付いとったで」
と、快く筆を取り出して見返しにすらすらと書いてくださった。
僕が買った本はヤフーオークションで、ライバルが無かったお蔭で5,000円で入手したものだったが、とても得をした気分になった。
「僕は、本は出来るだけ初版を買うことにしてるんです。初版本には何というか著者の何かが詰まっていて、じっくり読んでるとその人が傍にいるような気になります」 藤本さんは筆を運びながら頷いていた。

かれこれ1時間余りお邪魔しただろうか、帰りには門まで送って下さった。
こうして藤本義一さんとの初めての対面は、僕にとって忘れ得ぬひと時となった。


いつかまた、冥途でお会いできる日を楽しみにしています。




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