ついでに、自分達を地獄に導く市長や知事をクビにする権限も、子供たちに与えてはどうか?
こんな愚劣な条例はあってはならないが、ここまで来た以上、少なくともこの安物の独裁者の価値基準によって免職になった教員を、生徒の投票によって復帰させるシステムは必要だ。
大阪府教育基本条例の一番の被害者は、教員ではなく子供たちであるという一番重要な視点が欠落している。
橋下が知事になって府職員の自殺者が二倍近くになったように、この条例によって大阪府の子供の自殺者が増えることは間違いない。子供と本気で喧嘩するような程度の低い奴だから、自殺者が増えたところで意に介さないだろうが、そういう状況が許されて良い筈がない。
親が大人が子供たちに教えるべきことはただ一つ、「生きることの喜び」だけだ。
それさえ学べば将来子供はどういう状況下でも生きて行ける。世の中も良くなる。
競争する心を養うことではない。
それさえ学べば将来子供はどういう状況下でも生きて行ける。世の中も良くなる。
競争する心を養うことではない。
今朝の京都新聞。
一体どんな
少ない情報で状況を勝手に想像すると、
トイレを借りに来た軍人数人は
そんなところではないだろうか。
≪追記:2011.10.19≫
調べてみたら、日本にもこんな凄い事件があった。
http://rocketnews24.com/2011/10/06/137284/
上のサイトで紹介されているオランダの18歳、ライヤシーナさんの作品とその技法についての感想。
10月11日にFacebookの友達のウォールに書いたものを再録します。
「輪郭線のトレースという第一段階の作業と資料写真が出て来ず、作業中の手元の映像とBGMしか無いので何とも評価し難いですが、作品を見る限り第一段階の作業はあると思います。仮にトレース(大抵7Hの鉛筆を使うのであの映像では見えない)無しに資料写真だけで、画歴2年の人がああいう描き方であれを描いたとしたら、常人ではないと思います。」
たしかにデッサン力は素晴らしい。
『ウォーホル日記』にこんな一節がある。
1984年10月9日 火曜日のこと。
1984年10月9日 火曜日のこと。
アンディ・ウォーホルは、友人のジョン・レノン&オノ・ヨーコ宅を訪れ、彼が大好きな息子のショーンの部屋へ行った。
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ショーンのベッドルームに入ってみたらーそこには若者が一人いて、アップル・コンピューターをセットしているところだった。ショーンが誕生日にマッキントッシュ・モデルをもらったんだ。ぼくのところにも、マッキントッシュをくれるという電話がかかってきたけどこちらから電話しなかったんだというようなことを話したら、その若者が顔を上げて、「ああそれはぼくですよ。ぼく、スティーヴ・ジョブスです」というんだ。すごく若く見える。まるで大学生みたいだ。そして、今からでも一台送りますよという。それから、コンピューターで絵を描く方法を教えてくれた、いまはまだモノクロだけど、すぐに色が使えるようになるという。キース(ヘリング)とケニー(シャーフ)がそこにあるのを使ってみた。キースは前にTシャツをつくるときに一度コンピューターを使ったことがあるが、ケニーははじめてだった。
目の前にいるこの若い天才がこういう機械を発明するのに一役買っているのかと思うと、自分がすっかり老け込んだ気がしたね。
(中原祐介・野中邦子訳:文春文庫)
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四半世紀前の天才同士の出会いのひとコマ。
それにしても第一線の画家、音楽家といったその分野の頂点に立つカリスマ達に、タダで“マックを贈る”という発想!彼は若い頃から、優れた発明家であるのと同じくらいに、優れた戦略家だった。
人は皆志半ばにして逝く。一人の人間としては、もう十分すぎるほどの足跡を遺したけど、本人はまだまだ生きたかっただろう。歴史は多くの場合、革新的なテクノロジーの出現によって動く。彼が人並みにあと20年生きていれば、未来は、彼が居ない世界とはだいぶ変わっていたはずだ。
川端三条の角に小さなスピーカーを置いて一人で立ち、出勤途中の人々に訴えかけている前原さんの姿を、車の窓から何度か見かけた。
先日のカンニングの“逮捕”といい、この件といい、騒ぎ方が大人げない気がしてならない。
鬼の首でも取ったようにはしゃぐ、同じ京都出身の西田昌司議員を見ていると、日本人のキンタマも猫並みに小さくなったものだと溜息が出る。 いや、そう言ってしまうと猫が可哀そうだ。キンタマは小さくとも、猫はもっと誇り高い。
こんな大事な時に、足の引っ張り合いばかりしていて、日本に対する海外の信用・評価はどうなるのか。
自民党も失地回復にばかり血道を上げず、政権交代を「自分達の失政の産物」と謙虚にうけとめ、今は真に国益を優先し、彼らの先輩として、いろいろ助言をしてやることが大人の姿勢というものではないか。
良いことも悪いことも、アドバイスできることは山ほどあるはずだ。
(朝日2010-11-01)
職人の粋というか美学というか、何歳になってもかっこいい人だなあ。
学生時代に学館ホールで自主上映の「裸の島」を観た。
セリフもBGMもないので、はじめは無声映画かスピーカーの故障かと思って観ていたが、後半に入って一瞬だが家族団欒の茶の間で笑い声が混じる。そのとき、観客席がどっと沸いたのを覚えている。
あれこそが鬼才新藤兼人の真骨頂ともいえるシーンではなかったろうか。
重く悲しい映画だったが、場面のひとつひとつがあんなに記憶に刻み込まれる映画に出会ったことがない。
350万円という当時でも破格の製作費ながら海外で高く評価され、一個人でもその気になれば名画の一本ぐらい作れるということを身をもって証明した快挙ともいえる作品だった。
「この辺でお別れすることにします」 かあ……、 にくい台詞だねえ。
