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工事費50万円!
えらく高くついたけど、良いのはそれぐらいは普通らしい。


(御隆荘ガレージ/京都市東山区今熊野日吉町47-1番地 電話:075-255-5552)



学生時代から、40年以上住み続けていた京都市東山区のアパートと、その敷地835坪を、家主さんのご厚意で、昨年末に購入させていただき、今月7日から駐車場の整備工事に入っています。

高台に建つアパートの二階から見る京都の夜景や、遠くの電車の音、日当たりの良さと静けさ、三方を囲む山の緑を愛し、ここに桃や無花果や柿やグミといった果樹を生やし、家族や住人や友人も混じっての草刈りで、汗をかいてはBIG Macでビールをあおるといったことを、何年もやってきました。今も、暖かい季節には色とりどりの花が咲き、昆虫や鳥たちが絶えません。猿や猪や狸といった動物もやって来ます。

木造モルタル二階建ての建物は、元の所有者が建設業であったため、全部屋の壁芯にコンクリートを入れるなど耐久性に拘っており、築60年近く経ってもまだまだ頑丈なものですが、流石に1995年の阪神大震災と昨年の大阪府北部地震の際には、何箇所もひび割れが生じました。

一昨年、現在の住居に引っ越すまでは、夫婦で管理人をしながら、見晴らしの良いこの高台の地を終の住処と思い、家賃も安いので多い時には家族6人で9部屋も借りていましたが、日常的に不安も抱えていました。一番の不安はやはり建物の耐久性で、いくら頑丈に作られているとはいえ、経年劣化は否めず、あの阪神大震災の時に現地で見た、一階部分が滅失してその上に二階三階が乗っかっている情況や、道端に立てられた血まみれの畳など、夜中にそういう地獄絵を思い出すと、何時間も眠れないこともありました。

この環境をこの上なく愛しながらも引っ越しを決めた最大の理由はそれです。
そのため、所有権の移転と同時に住人の方々には、別に一部屋を提供し、寝食の空間を二階に移してもらいました。取り敢えずは一安心です。住人の方々との信頼関係も出来ていましたので、2年間を期限とする定期借家契約も2~30分の主旨説明で全員合意を頂き、数日後に契約を終了しました。

というわけでこの敷地建物は引き継ぐことになりましたが、好きな草刈りも腰痛の悪化で年々キツくなって来ています。
昨年は、雑草も伸び放題になりかけていたところ、園芸好きで駐車場を借りてくれている電機屋さんが、知らぬ間に時間を作って斜面まで草木を刈ってくれるなど、非常にお世話になりましたが、会社で所有者となった以上そういうご厚意に頼っている訳にもいかないので、大金をかけて経験のない敷地の整備工事となった次第です。

駐車場の工事が終わると、次は西と北側の石垣の除草と補強工事、これで草刈りの手間は大幅に軽減されます。
全て完了するのはGW前でしょうか。










(京都市東山区今熊野日吉町47-1番地)






今日は御隆荘アパートの敷地内に立っている、目障りな電話線と電柱2本を撤去してもらった。
ずいぶんスッキリした!
もう固定電話誰も使ってないし。これも時代の流れ。


久木田ヒロノブさんのfacebookタイムラインから。
大仕事を終えてのこういう “時” っていいなあ(^ ^)




さっきamazonを開くと「新着」で出ていた『日本のデザイン書道家』。
もう長いことやってないけど、本作り、出版てほんとに楽しい。
ネット時代の書籍出版は難しいが、余裕が出来ればまたやってみたい。






実は21日の昨日はうちの会社でも、1年半越しの大仕事が成り、関わってくれた外部のブレーンとの祝宴があった。
めでたしめでたし!







JDCA(日本デザイン書道作家協会)理事長の久木田さんが突然お見えになり、デザイン書道家の名鑑を出したいと言われたのが今年の3月。

二つ返事で、喜んで協力するとは言ったものの、うちが出した18年前は構想から数年、募集から発行まで一年半を要したので、年内に出すなんて無理だよじっくり構えて来年にしたら?って言ったのだが、版下から作っていた18年前と今とでは、本作りのテクノロジーが大きく進化しており、それに久木田さんの手際の良さも手伝って、本当に年内に出来てしまった。
僕の時は別の本も同時に出したので体重が10キロ減ったが、もともとスマートな彼も3キロ減って髪も細くなったらしい。やはり命を削らない限り大仕事は出来ないということだ。
それにしても京都と東京では、時間の経ち方も違うようだ。

またアートディレクションを担当したのが、今や日本を代表するグラフィックデザイナーの一人となった美登英利さんで、彼の仕事の早さ美しさも折り紙つき。
彼とはたまに電話で話すだけでもう長く会ってないが、35年前か、地元京都でファッション雑誌のデザインを任された彼が、なかなか仕事に取り掛からず酒飲んで煙草吸ってばかりいるので、こいつ仕事する気あるのか、大丈夫かなどとイライラしながら観てたのだが、入稿当日の朝現場にいちばんに行くと、一晩で仕事を見事に仕上げた美登君が、革の長いソファーの上でアルマーニか何かのブレザーを肩にかけて死んだように眠っているのを見て、胸がいっぱいになったことがある。なかなかカッコいいやつだ。



(今年の3月23日。「年内に出したいと考えてます」「それは無理やと思うで」と話している二人)





うちも2頁書かせて頂いた。(タップで拡大表示)
ほんとお疲れ様でした。大ヒットして増刷されますように!






有難うございます。
業界のため、初心にかえり頑張らせて頂きます。


【jpaaとは】
一般社団法人日本写真エージェンシー協会(Japan Photo Agency Association)。著作権市場を健全な状態に保ち、写真に関するビジネスを発展させるための活動を行っています。(協会hpより)

https://www.jpaa.gr.jp/






久々に活力を感じる業界のパーティに息子夫婦と参加。
LIMA(一社日本ライセンシングビジネス協会)会員企業は約100社だが、僕等のようなビジターを含めて100人を優に超える人々が集まり、夫々に情報交換をしながら会食を楽しんだ。




僕等は嘗て写真エージェンシー業界から早くにこの業界に転身し、今や草分け重鎮となった(株)コスモマーチャンダイズィングの石田会長(彼はこの日の大事な予定をキャンセルして来て下さった)から、業界の様々なキーマンをご紹介頂き、30部用意していった急拵えの当社の業務紹介リーフはほぼ全部渡ってしまった。
新参者だが石田さんからのご紹介に与ったことと、リーフの「創業31周年」のマークが効いたようで、名刺交換した方々の中から早速近々に京都に来られた折にお会いすることになった方もいる。
腰痛も忘れスキンのヘッドから吹き出す汗をハンカチで拭き拭きの超有意義な2時間はあっという間に過ぎた。京都に向かう最終の新幹線で、グリーン初乗車の息子夫婦は上機嫌。僕は脱力。




http://www.licensing.or.jp/20181005holiday/











昨日は福井にある「金津創作の森」で始まった、久里洋二さんの作品展とオープニングイベントのトークショーを観に行った。

郊外にある創作の森はあまり交通の便が良くないにも関わらず、館長の土田ヒロミさんとのトークショーの会場は百名分ほぼ満席で、90年の齢を重ねた久里洋二さんの飾らない語り口と怖いもの無しの老人力に、会場は何度も笑いに包まれた。

戦闘機を作る軍需工場に動員されていた17歳の夏に終戦を迎え、玉音放送を聴いたが、勝ったのか負けたのかが分からず、放送の後で兵隊が「いよいよ本土決戦が始まるから心せよ!」と檄を飛ばし、いよいよか!と思った翌朝、兵隊が飛行場から1人もいなくなっていたという話。
から始まり、
一念発起して福井の実家を飛び出し東京へ。絵筆で生計を立てるには当時絵描きは全国に50,000人もいてとても食えそうにない、それに比べて漫画家はたった7人だったのでこれになろうと第一線の横山泰三に師事したら、7人は自分が知ってる人だけで、実は300人もいた。
なんとか始めた仕事は、共同通信の4コマ漫画。一本千円でこれもなかなか食えなかったという話。

久里洋二さんのトークショーは連続2日間の予定で、初日のテーマは彼を一躍有名にした「11PM」のアニメが話題の中心だったのだが、久里さんは当時の仕事が気に入らないらしく、あのシリーズですっかり自分はエロ漫画家になってしまった、恥ずかしい、もうやめようよ、なんて言うので打ち合わせ通りに進行したい聞き手兼進行役の土田さんは少々困り顔。

途中で「小便に行きたい」と雛壇を下りられて帰って来たら、皇居はトイレが無いから5時間もかかる勲章の授与式(2011年の3度目受賞)は辞退した、オムツして行く人もいるらしいけど自分は嫌、かといってお漏らしすると周りに迷惑かけるし。と、

そして最後に、これからも作りたい作品はたくさんあるが、最近は自分が描いたはずの絵を忘れている、怖いね、と急に真面目な顔。でも、そんなことを隠しもせず格好つけずに言える久里洋二さんの人間力に共感せずにいられなかった。




そんなこんな楽しいお話を1時間半、最前列でお聞きし笑わせて頂きました。^ ^
そのあとは創作の森全館を使った膨大な作品展を鑑賞。「本展示会は写真をお撮り頂けます。」と書かれた会場の張り紙は、時代の流れを感じさせた。



帰りに、販売コーナーで可愛い猫を描いた久里洋二さんの原画(その絵柄はグッズにも使われていて一番目を引いた作品!)を購入させて頂いたら、思いがけなく、係りの方が1階控え室でご休憩中の久里さんとのサイン・記念写真撮影を手配して下さって感謝。

久里洋二さんどうかいつまでもお元気でいてください!


https://sosaku.jp/event/2018/art-document/












普段、美術館に足を運ぶことなど先ずなくモナリザの現物も知らない、よく見かける京都国立博物館の行列を見ても「また並んどる」と冷笑しながら通り過ぎるだけの僕だが、これは見たいと思って昨日舞鶴まで車を走らせた。

中国の魯迅美術学院で教鞭をとる王希奇氏が、1946年葫蘆島港から帰還する105万人の残留日本人をテーマに、3年半かけて描いた3m×20mの大作。
何よりそこに描かれる一人一人と胸中対話を続けながらの制作だったというから、これは並の精神力ではもたない。

以前中国ポスター展の審査員を、同国から招かれてなさった秋山孝さんからお聞きした話だが、芸術は社会主義国が断然レベルが上だという。その理由は、「彼等は芸術を消費しない」。確かにこういう作品は、何でもかんでも消費することで成り立っている資本主義の国では、先ず商売にならない維持に金がかかるという理由で、制作すらされることが無い。例え熱情的な画家がライフワークとして挑んだとしても、作品の前で餓死して、作品は粗大ゴミ作者は生ゴミと化すのが落ちだ。

舞鶴引揚記念館の1室を3壁使い展示されたこの大作は、正にこの記念館のコンセプトに相応しい作品。是非とも原寸大の複製画を永久展示させて欲しいと思う。






「王希奇展 −1946−」
舞鶴引揚記念館で12月2日まで展示。
https://m-hikiage-museum.jp/


ただ描かれている顔は、日本人とはちょっとだけ違うような…

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