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去年の8月にお亡くなりになった、グラフィックデザイナー田積司朗さんの一周忌遺作展が、彼のアトリエである「ぱるあーと」で開催された。
アートバンクの設立時に、知り合う機会があり、以後20年間いろいろな節目でお世話になった。

お亡くなりになる3ヶ月前、会社のエレベーターの中で、ふと「田積さんと飲みたい」と思ったのだが、エレベーターを出たそのすぐ外で、なんと偶然に、隣の朝日新聞ビルに納品に来られた彼と出遭った。
僕が今の今、ふとそう思ったところだったと言ったら彼は大笑いし、その二日後に僕は馴染みの小料理屋「恒屋伝助」さんの小部屋を予約した。
その夜は、びっくりするような面白いお話しをたっぷり聞かせて頂いたが、グラフィックデザインの業界を支えてきた重鎮の一人でありながら、全く気負いのない謙虚な人柄・話し方に、本当の大物はこういう人物だと感じ入った。

京都の街もそこそこ広いが、その街中でこれまでも二度、偶然お会いしたことがある。
一度目は、彼の愛犬セントバーナードと一緒の、朝の御所で。
二度目は、寺町通りに面した錫の伝統工芸品専門店のショーウィンドウだった。
「歳とって、ものの良さがようやくわかってくる頃に、先立つものがなくなってくる。ははは・・・」
と笑っていた田積さん。

5月半ば、京都市美術館で開催される「京都国際版画展2008」の、オープニングパーティの招待状が、田積さんから届いた。
京都駅のホテル・グランヴィアで開催された、国際色豊かな版画アーティストのパーティ会場で、誰よりも自然体で、誰よりも存在感を放っていたのが、田積司朗さんだった。
これが僕にとって、田積さんの最後の姿となった。


病名は、筋萎縮性側索硬化症。通称「ALS」というこの難病は、人口10万人当たり、年間2人程度しか罹らない希少疾病で、日赤でさえ正しく診断できないまま、病状を急速に悪化させてしまった。
「もってあと1週間」という宣告を受けたとき、田積さんは一切の延命治療を拒否し、「自然体で」とご自宅に戻られ、その5日後に不帰の人となった。

逝去の翌々月、京都ホテルの大広間で催された「お別れ会」には、かなりの方々がお見えになっていた。
会場正面のスクリーンには、田積さんの想い出が、彼が好きだった坂本九の歌をBGMに上映された。
その最後の括りに、予期しない、恒屋伝助での彼の姿があった。






こうして書いていると、まだ昨日のことのようだ。
その人を思うとき、その人は傍にいる。
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