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1969年の夏、和歌山県立向陽高校で生徒会長をやっていた僕は、制服を廃止するために、友人と二人で学校を休んで京都に来た。

生徒の主体性を重んじる、制服の無い自由な校風の、鴨沂高校を取材するためだった。
アポイントもなく訪問したのだが、鴨沂高校の校長先生は快く受け入れてくれて、授業風景を撮影したり録音したりしたあと、昼休みに鴨川べりで弁当を食べる生徒たちにインタビューもさせてもらった。
「学校では制服を着るのがあたりまえ」という、当時の和歌山のカビ臭い連中に、このインタビューを頭から浴びせてやろうと、その秋の生徒総会に賭けていたのだが、残念ながら生徒総会議場での多数決で、議題に上げること自体が拒否されて、制服廃止の提案は葬り去られた。

学生服やセーラー服を、着たい奴がそれを着るのは勝手である。しかし着たくない奴にまで着せる権利がそいつらにあるのかという、根本的な問いかけすら提起出来ずに終わった。

しかしまあ、この京都新聞の見出しは「クソ」だ。 「生徒」と一括りにされた一個一個の人格と人権に対する思慮が全く無く、問題意識そのものが欠落している。
制服を強制する思想はファシズムなのだ。
それにしても、反対運動すらしないとは、受験勉強漬けで鴨沂高校の生徒の脳味噌もクソになったか。

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