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「ごん太」の「何か用か?」Tシャツが売れた。
と、UPSOLDさん(http://www.upsold.com/)からメールをいただいた。

長男が、8月の草叢で生まれたてのミーミーないているのを拾ってきて、哺乳瓶で育てたごん太。





13歳半で他界してから、来年の2月28日で丸3年になる。
人間の中で自我に目覚めたごん太は非常に賢いやつで、自分に関係のある日本語は大体理解していた。
ただ話せる言葉は一言だけで、僕がよく妻を「オーイ」と呼ぶので、妻に何かを訴える時だけは、はっきりと区別して「オーイ!」と発音していた。
ほかにも「お薬」や、「お医者さん」「先生」という単語には特に敏感で、耳にすると知らぬ間に姿を隠した。
そんなときの彼の隠れ場所は、和ダンスの上の死角であったり、洋服ダンスの奥であったり、どうやって入ったのか押入れの収納ケースの上の僅かな隙間で、踏んずけられたカエルのような恰好をしていることもあった。

2歳の時、尿毒症で腎臓が半分だめになり、5歳で猫エイズを発症し、白血球や血小板が減少するなかで、ヒョウソや肝炎を患いながらも、これだけの年月を生きながらえたのは、彼の生命力もあるが、なによりも名医、紫野犬猫病院の桑原次郎博士のお蔭だ。

桑原先生には最後の最後までほんとうにお世話になった。
特に最後の治療の日、妻と二男が連れて行ったのだが、先生は一旦停止したごん太の心臓を数十秒後に再起動させ、蘇らせた。
その蘇生の瞬間、
「はあ…、帰ってきた帰ってきた…」
と、ほっと胸をなでおろして先生が言ったそうだ。

報せを聞き、長男と僕が霙の中を車で駆けつけ、その夜は酸素ボンベを二つお借りして帰宅した。
ごん太が逝ったのはその夜の3時頃。
妻と二男の間で鼻に酸素マスクを近づけて寝ていて、二人がふっと眠り込んだ僅かな時間に、息を引き取っていた。
「みごとに逝きよったなあ…」
と、二男が言った。
ごん太は家族の中で、二男にいちばん懐いていた。
そのあと、悲しみが癒えるかと、ごん太が残した酸素を4人で吸った。

翌朝、桑原先生に電話し、ごん太のことを報告した。
「そうでしたか…。 でも日本一しあわせなねこちゃんでした」
と、先生が言った。

墓標は一本の栗の木。


 
                    (二男を見つめるごん太。生前最後の写真)


そんなごん太のTシャツを、誰かが買ってくださった。
この同じ空の下で、ごん太が街を歩いている!




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