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堀口磊蔵先生(故人)がうちの顧問弁護士だった頃、千葉県の事案に絡んだ東京地裁での裁判の帰りに、一緒に闘っていた先生(現在は裁判官)が堀口先生に言った。

「先生、○○(何かの職業)っていちばん嘘つきですね」
堀口先生ふと足を止めて
「ん? 違うよ」
「!、弁護士ですか?」
「そ」
そう答えて、ちょっととぼけたいつもの表情で、また歩き始めた。

過去も現在も、堀口先生をはじめ僕が同士とする弁護士さんたちが嘘つきだったことはないが、実際弁護士は仕事のために嘘をつく能力も時には要求されるようだ。法廷では追い詰められた方が嘘を連発する。
ただ当然ながら、そういう日常に染まり、自分は嘘がつける職業だなどと勘違いしてしまうと、その癖が抜けきらず法廷の外でも平然と嘘を言ってとんでもないことになる。

国会の答弁でそれをやっちゃいけないよ。
サッサと辞めなさい。





堀口磊蔵先生カムバック!












こんなのとかいろいろ出てくるたびに、手が止まってなかなかはかどらない。

35年前、1982年の8月3日。50ccのバイクで北海道を1周して帰りに、乗っていたフェリーが漁船と衝突し、転覆した漁船の船腹のセンターボードにしがみついて立っている漁師の姿を映画のように写して、フェリーの到着後、朝日新聞敦賀支局にパトローネのまま持ち込んで、翌朝の紙面に載った写真の「ご褒美」。
たしかそれで旅費が浮いた^ ^






さて、片付け片付け、、、
昨日、20年前まで仕事場にし、以後会社の倉庫兼スタジオに使っていたマンションを掃除していて、8㎜映写機を動かそうと思って手に取ったら何やらネバ〜っと、、、
置いてよく見ると、四半世紀前に飼っていた猫の小便がタール状になってへばり付いている‼︎
石鹸で洗っても取れない‼︎
家に帰ってから何度も湯と柿渋石鹸でゴシゴシ洗って、ようやく臭いは消えたが、めっちゃ気分が悪かった。

あの雌の黒斑の母親は、ほんとに賢い色っぽい猫で凛々しかったが、何匹か産んだ子供の中で黒斑だけは、うちの番頭にだけなついて僕になつかず、カメラのレンズやその他大事な道具をわざわざ選んで小便をひっかけていた。
職場のスタッフやその家族と、数日和歌山の山の家に泊まりに行った時、職場に2匹いた猫をそのまま放って置くわけにもいかないので一緒に連れて行ったのだが、屋根裏に棲みついていたムササビが深夜帰ってきた時に偶然ハチあわせてパニック状態になり、茶色の猫は縁の下に隠れ込み、小便タレの黒斑はそのまま何処かに逃走してしまった。
帰る日になっても黒斑は姿を見せず、止むを得ずキャットフードを山盛り置いて帰った。
それから数年経って、その付近の畦道で、あの黒斑にソックリな若い猫を見かけた。それとなく従兄弟に聞いてみると、黒斑は、通りを隔てた向かい側の大きな家に拾われていたようだ。

町中のマンションのたった30坪の檻のような空間から解放され、楽園のような新天地で自由自在に走り回っていた黒斑の姿が目に浮かぶ。
今更挨拶にも行けないが、拾って育ててくれたご家族には、ほんとに申し訳なく感謝している。

といいながら、気になってまだ手の臭いを嗅いでいる僕。












画像のデジタル化で、随分前から不要になっていた、ポジフィルムを確認するための特大ライトテーブルとマウント保管用のロッカー(一部)だが、再利用してくれる人が思いがけない身近なところにいて、昨日再度嫁入りできることになった。
なんとも有り難い^ ^






新聞の整理をしてたら出てきた記事だが、見出しに違和感を感じたので書こうと思う。

これまで個人に対する批判は極力は避けてきたが、天下の朝日が全国に蒔いた記事のヒーローとくれば、もはや市井の一個人とは見做せない。

彼福井健策氏は、うち(アートバンク)の契約作家の作品がパクられて、武富士のキャンペーン広告で使われた事件の裁判で、武富士と広告を作った電通側の代理人となって我々と争った三人の弁護士の内の一人で、被害者であるイラストレーターやエージェンシーのアートバンクのことをボロクソに準備書面に書いてきた張本人でもある。

彼は事あるごとによく「著作権問題に詳しい福井健策弁護士」などというフレーズで新聞記事などで取り上げられているが、それはそれで正しい評価だとは思う。僕も彼の著書は何冊も読んで共鳴するところも多く、勉強させてもらっている。


しかしねえ、この見出しはいかんよ。

著作権に詳しいなら、その知識経験を活かして、常に世のため人のため、正義の弱者の側に立って戦うべきだと思う。強者に挑んだのはむしろ僕らの方で、あんたは敵だった人。
金に目が眩んだとまでは言わないが、まあ義理もあり、それで引っ張られたのだと思うが、受任するしないはあくまで福井さんの自由意志のはず。悪いことした強い側に付いて弱い者いじめしちゃいけない。

裁判の結果は彼等にとって惨憺たるもので、当時の電通の社長か会長がカンカンになって怒り、失態を演じた"全関係者"へのボーナスも出なかったと聞いた。
それにあろうことか、"盗作"の賠償責任を、上から言われるままに制作した末端の小さな会社に「請負の基本契約」を盾に押し付けようとし、納得できないと思い余ったそこの社長から僕に相談の電話がかかってきて、今度は彼の立場に立って、彼にアドバイスをしたという、笑うに笑えない話もある。相談してきた社長はとても善良な人だったが、それに比べ、大手企業というのは、得てしてそういう非情で薄情で無責任なところがあるものだ。大企業の社員はとかく自己保身しか考えない。

話の枝のepisodeだが、東京地裁の一審判決が出て数日後、原告側代理人の堀口磊蔵先生(故人。当時当社の顧問弁護士)に電話し、被告側は控訴してくるかどうかについて、晩飯を賭けたことがある。 先生は「絶対控訴してくる」と言ったが、幾つかの断片情報から此方なりに相手方の動きに思いを巡らせ、またちょうどそのころ武富士の武井会長が盗聴問題で逮捕されたこともあり、電通はこれ以上この問題を長引かせず幕引きを図るだろうと思い、控訴して来ない方に賭けた。

大スポンサーでもある武富士・電通相手の裁判の結果を報じた新聞は日本経済新聞と熊本日日新聞だけだったが、その日のうちにネットニュースで津々浦々に流れ、コントロールの及ばないニューメディアの存在を電通は再認識した筈だ。

裁判の詳細はこちら。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/721/010721_hanrei.pdf
ついでに
http://news.a902.net/a1/2003/1113-7.html
おまけ
http://www.artparadise.com/museum/7/23479.html


そして、控訴期限の2週間が経過し、判決が確定した日、「裁判に勝って勝負に負けた」と先生からメールが入り、新宿のエスニック料理の店で、うちの番頭と二人で美酒に酔いながら、いろんな知らない料理を腹いっぱいご馳走になった。

話を戻そう。
戻すと言いながら、またちっとばかり横道にそれるが、この記事にもあるように、福井健策さんが今もっとも力を入れている、著作権保護期間延長に絡む問題については、僕も全く同意見で死後50年でも長すぎる保護期間を、アメリカの顔色伺ってTPPのどさくさに紛れて70年に延長しようとする政治の動きには断固反対だ。

同じ知的財産権でも、実用新案の10年、特許の20年に比べて、著作権の保護期間は格段に長すぎる。しかも死後に財産として「均分相続」されるために、時間の経過とともに権利者の特定が困難になり、NHKでさえ過去のアーカイブを作り公開するために関係者権利者探しに莫大な費用をかけながら、大半がクリアできずにいるくらいだ。また、「個人情報保護法」という名の「国民分断法」も、相続者を探す際の大きな障壁となっている。
故人の著作物は相続者が一人欠けても再利用が出来ず、これら著作権の相続者が不明な著作物は「孤児著作物」と称されて、目立たないが実は大きな文化の問題になっているのだ。

著作権法は見方を変えれば、死人の口を封じる法律だともいえる。

死んだ著作者は、「権利保護」を名目に、自分の著作物が50年も70年も封印されることを望んでいるだろうか?そんな馬鹿な話はない。人は忘れ去られた時にこそ初めて死ぬのだ。
だから著作権者は、生きているうちに、自分の死後は、自分の著作物の一部若しくは全部をパブリックドメイン(公共の財産)にする、ということを宣言しておくのがベストだというのが、僕の考えだ。

小説家や評論家は、その代表的な一作品でもパブリックドメインにしておくことによって、その著作物は万人が自由に引用し翻訳し、かつ翻案するということが可能になり、新しい時代の息吹を得て甦ることもある。また一作品でもパブリックドメインになっていれば、自然とその人の他の作品にも後世の人々が注目し、全作品が長期に亘って封印されるリスクを、少しでも減らすことができる。
その他に幾つもオプションは考えられるが、また追々書く。

まあ改悪著作権法の未来は、暗黒と言わざるを得ない。
福井さん、応援してまっせ!
残念ながらあんたしかいない。







(矢部さんのfacebook頁から)


11月12日の土曜日、西新宿住友ビルで開かれたJDCA(一社)日本デザイン書道作家協会開催の「デザイン書道フォーラム2016」で。
今回アートバンク賞を授与させて頂いたのは矢部澄翔さん。
クライアントの難しい注文を、彼女なりのスタイルでこなしたプロセスが語られ、学ぶところが多かった。
非常に器の大きい人物で、書も力強く、将来が楽しみ。




矢部さんのHPです。
http://www.yabe-chosho.com




僕の隣は天来書院の比田井和子さん、向かって左端は映画タイトルデザイナーの赤松陽構造さん。

http://www.j-d-c-a.com/taisho/18/










本が溢れ出してどうにもならなくなって、本棚購入。
これまで使ってる本棚と色を揃えるために何ヶ月も時間を見て探したが良いのが見つからず、二男の見立てで即無印良品の「スタッキングシェルフ」にした。
http://www.muji.net/store/cmdty/section/S02709?sc_cid=pc_yahoowallet-2
1ヶ月待ちだったけど、組み立てまでお願いして良かった。箱の処分も大変だし、こんなの自分で組み立ててたら1日仕事になる。

問題一つ解決!








http://spotlight-media.jp/article/248680954060455169?utm_source=facebook



もう一歩話を進めれば、従来のような映画の制作と配給システムはいずれ崩壊し、俳優に限らず各分野の専門家の誰もが自由にプロジェクトを組んで、映画を作り、発表し、そこからこれまでにないビジネスモデルで収益を上げることが可能になると思う。

「一本の映画をその映画ごとに株式会社にする」という方法をとり、その映画に参加する俳優や関係スタッフ自身が株主となって、応分のリスクを分担し、応分の利益を得ることが出来るようになれば、インディーズの映画にハリウッドのトップスターが何人も出演するようなこともあり得る。
また3DーCGのデータ・ライブラリーが出来れば、映画の制作コストも劇的に下がり、原作者や俳優の取り分をさらに高くすることが可能になる。

俳優業は見かけは派手でも、その多くは低所得で、人気商売ゆえの生活不安も常に抱えている。自分が出た映画がヒットして長期間商品として生き続けても、それによる利益を享受する事もほとんど無い。

そういう現状を根本から変えるために、労働組合も相互扶助の面からは重要だが、労使間の賃金闘争に終始する限りその存在の評価は限られる。
小栗さんには、これを機に映画作りの仕組みを変えるようなことをして欲しいと思う。






30年ほど前仕事で、間に立った人の連絡ミスで、永六輔さんと会って話していきなり怒られたことがある。
数日後、永さんからハガキを1通頂いたが、まだ若造の僕は返信する気になれなかった。
確かに見識のある好人物だが、生きる世界が違い、僕には恐い人だった(ー ー;)

ご冥福をお祈り致します。




やってみせ
言って聞かせて
させてみて
ほめてやらねば
人は動かじ

山本五十六の金言。
経営者はまさしくこうあらねばならんと思いつつも、俺らの様なIT時代のオッサン経営者の多くは…

してもろて
教えてもろて
出来もせず
ほめてそやして
してもらう

情けない…
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